継承される技と心

エメラルドグリーンの海と美しく豊かな自然に恵まれた
琉球王国を故郷とする剛柔流空手道。
そこには、清く心を研ぎ澄ませ、健全な身体を育む技がある。
沖縄から大阪、そして福井へ─。
人から人へ、時を越えて伝えられる空手の意義。

南派少林拳、沖縄へ

東恩納寛量先生は、1853年那覇市に生まれ、琉球武術・那覇手を学んだのち、中国福建省へ渡り、リュウリュウコウ老師から南派少林拳を学んだのが剛柔流の始まりです。
現代に伝わる中国拳法、白鶴拳や詠春拳にも似た動きは、かつての少林拳を彷彿させるものであり、剛柔流に伝わる丹田呼吸法「息吹」は禅の調息のように深く、仏教の修行法だった頃の姿を遺します。

沖縄から伝わった剛柔流

宮城長順先生は1888年に那覇に生まれ、14歳で那覇手の大家の東恩納寛量に師事します。自身も、1915年より1917年7月まで福建省で当地の拳法を研鑽しました。1930年、自らの唐手を剛柔流と命名。1934年、大日本武徳会に「剛柔流唐手」と登録します。
「人に打たれず人打たず、ことなきをもととするなり」が、流祖・宮城長順先生の遺訓。空手の目的は、人と殴り合うことではないのです。


本土へ伝わった頃の剛柔流を求めて

2000年当時、コピーライターの仕事をしながら、福井駅前にあった剛柔流の道場に通っていたのですが、都会でもっと大きな仕事がしたいと会社を辞めて、大阪へ。きっかけは、月刊空手道で見た大阪の研心館。実業団のある大きな道場でした。大阪へ行ったら、ここへ入門しようと決めました。
現代的なスポーツ空手に満足できず、ついにインターネットで見つけたのが、松村哲男先生の修剛館。ようやく、昔の組手スタイルに出会い、形の使い方を知ることができました。
「空手は三拍子」という言葉がありますが、実際に三拍子を体の動きで教えてくださったのが、松村先生でした。
相手とタイミングと間合いを図って攻め合う突き蹴りの格闘技でしかなかった空手が、先生から掛け手を教えていただいた時、技の意味合い、空手の概念が変わった感じがしました。
会社で空手の形の稽古をしていたこともあります。夜に会社を抜けて道場へ行き、また九時過ぎに会社へ戻った日もありました。大阪、修剛館での修行の日々は、私にとって最高の青春時代でした。
そして2006年。大阪から福井へ帰る日が訪れ、福井での新たな修行の場として、拳剛館を開くことになったのです。

かつての剛柔流の技を福井へ

空手と言うと瓦割りや寒稽古のイメージがあります。「空手をやっている」と言うと「瓦を割れるんですか」と聞かれたことがありますが、こう言われるのは実は心外でした。本土で空手を広めるためのパフォーマンスで、空手の技と関係ないのに…と思います。
空手は本来、沖縄から伝わった武術です。剛柔流は京都の立命館に伝わりました。その歴史は、中国福建省に実在した南少林寺を源流とする南派少林拳にまでさかのぼります。
剛柔流の形には、腹式より深い丹田呼吸法が含まれます。呼吸を意識して、我を消せば、相手の動きと合ってきます。破壊の手段ではなく、攻撃してくる相手を制御する技です。分かりづらいものかもしれません。それでも、それぞれが修得のために稽古を重ねていく、その修行過程にこそ意味があります。
目的は、健康づくりでもダイエットでもいいのです。護身術やスポーツとしてだけでなく、その他の目的を満たすほどに、剛柔流の技は奥深いものです。心身を練磨し、自分に磨きをかける手段として、空手が皆様の役に立てたら幸いです。

拳剛館館長 小池崇博

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